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「介護」のちょっと素敵なお話
「介護」に疲れた、しんどいなぁ~と思った時に読んで下さい。

初心者ヘルパーのお話
(「あなたのための介護技術」出版本より抜粋)

l  私を一人前の介護職に育ててくれたのは、先輩でも上司でもなく、ご利用者の方々です。

l  ヘルパー初日、ご利用者の「いつも、ありがとう」の笑顔で緊張がほぐれました。

l  慣れない毎日の中で、「あなたの笑顔を見ると嬉しくなるわ」と言って下さった一言が、今でも私の原点です。

l  洗濯・調理が不慣れな私に、台所に来て下さり、一から教えて下さいました。今から思えば、ヘルパーとして失格だったのでしょうけれど、「孫に教えているみたい」と嬉しそうにして下さいました。

l  色んな方と出会い、別れてきました。名前は忘れてしまっても、お顔は忘れません。いつまでも、私の心の中にご利用者の方々がいます。

l  「疲れた…」の声に、私達ヘルパーができる事は、多く有りません。家族様の代わりはヘルパーでは務まりません。家族様の笑顔が何より大事なのです。

l  「あなたに出会えて良かった。」これは、この仕事をしていたから聞けた言葉です。私は、この仕事ができて幸せです。

 

l  「きつい。汚い。給料安い。」誰がこのような条件で仕事をするのでしょう?そこには、それ以上の魅力があるから仕事ができるのです。私は、高齢者の方が最期のその瞬間まで活き活きと生きている姿を見られる事が、それ以上の魅力だと思えます。

ターミナルケアのお話
(「あなたのための介護技術」出版本より抜粋)

Aさんは、末期の乳がんでした。余命宣告3カ月という事を知らずに、6月に病院から自宅へ戻られました。Aさんの第一声は「家に帰れて嬉しい。もう無理かと思ってた。ここで来年のお正月を迎えたい。」でした。介護職の私は「…家に帰れて良かったですね。」しか返す言葉がありませんでした。

 Aさんが退院されて1カ月、Aさんのやりたいことを叶えようとヘルパー達と話ました。食べたい物、会いたい人…限られた時間の中でできる限りの事をしました。ただ…一つだけ叶えられなかったことがあります。「旅行に行きたい。遠く無くても良いから行きたい。」この願いが叶えられなかったことを、今でも後悔しています。今の私であれば、何とか叶えられたかも知れない。無知な経験不足の自分を情けなく思います。

 その後、Aさんはお正月を迎えることなく、余命宣告通り3カ月でこの世を去りました。私が聞いた最期の言葉は「ありがとう。ヘルパーのみんなには私みたいにはならないように、検診は受けるように伝えてね。」でした。

 Aさんが亡くなってから、10数年…Aさんのお顔と言葉を忘れる事はありません。検診は必ず受けるよう、女性職員には今も伝え続けています。

 

 

認知症の方のお話
(「あなたのための介護技術」出版本より抜粋)

Bさんは中度の認知症で80歳の男性でした。認知症の人は、何も分からなくなって幸せだと言う方が居ます。私は、とんでも無い認識であると思います。

 その方は、75歳まで元気に働いておられました。日に日に認知症状が出始め、徘徊が始まるようになりました。ある時、自宅近くのコンビニへ買い物に出かけたそうです。そこのコンビニにあるチョコレートのパンを全て購入して、帰り道が分からなくなったとの連絡で迎えに行きました。自宅に送ったBさんを奥様が迎えられ、「こんなにパンを買って…。」と仰いました。その時、同居する娘様がポツリと言った言葉が私には忘れられません。娘様は「私達が子供のころ、大好きだったのがチョコレートのパンでした。父はその頃に戻ってるんですね。」と仰いました。

 そのBさんが、病院に入院しました。娘様とその子供様が度々面会に行かれました。面会に行った際に、Bさんから「どうすれば良いか分からない。何も分からない。教えてくれ。どうしたら良いのか?」と尋ねられたそうです。娘様は、「何も心配することはないよ。私がいるから」と答えたそうです。「介護職のあなただったら、もっと良い言葉をかけてあげられるんでしょうけど、私には無理でした。」と話して下さいました。介護職の私にも、それ以上の言葉は見つかりません。介護職として無力な自分を感じました。

 その後、Bさんは3カ月の入院を経て、亡くなられました。最期は娘様の顔も分からなくなられたそうで、「誰や」と言われたと仰っていました。

 

 これでも、認知症の人は、何も分からなくなって幸せな人でしょうか?自分の娘が分からなくなることは、どれだけ辛いことでしょうか?認知症ほど辛い病気は無いと思います。

 

 

この仕事を続けている理由
(「あなたのための介護技術」出版本より抜粋)

介護職として、介護業界に入って15年。介護の仕事を辞めたいと思った事が1度だけあります。仕事内容にやりがいを感じなくなってしまった時があります。その時に出会ったある介護職の彼が私に「介護の仕事は好きでやるものではないの?」と言いました。この言葉が私の胸に深く深く沁み入りました。「介護を好き」と思ったことが無いわけでなかったのですが、どこかで仕事として割り切ってる自分がいました。

 実は、この問いの答えが今も出ません。

 しかし、私が今まで出会ってきた多くの方が、私にこの仕事を続ける意味を与えて下さっている気がします。人が生きる事の意味や最後まで生き抜く姿…、このような一人一人の生き方を私は伝えていく責任があると思っています。

 人は誰もが老いて死にます。誰もが避けて通ることはできません。未知なる世界に誰もが一人で挑んでいくのです。その時に、少しでもお役に立てれば、これ以上の幸せはないと思っております。

 私は、今もこの先も、自分が死ぬ瞬間まで介護職で在りたいと望みます。介護職として介護を必要とする方と共に悩んで一緒に歩いていきたいと思います。

 

 「介護の仕事は好きでやるものではないの?」と尋ねた同僚は、その後うつ病を発症し自殺して亡くなりました。永遠に答えを返すことができなくなってしまいました。彼のような介護職を出したくない。と強く強く心に刻みました。それも、この仕事を続けている理由の一つかも知れません。

 

視覚障がいの方のお話
(「あなたのための介護技術」出版本より抜粋)

Cさんは、先天性(生まれつき)視覚障害の70歳の男性でした。私は、Cさんの自宅で調理や洗濯の介護を担当しておりました。まだ、ヘルパーを始めて3カ月程の頃の事です。

 洗濯をしていた私は、白い靴下ばかりを干してあるのを見て、「Cさんは白色がお好きなんですか?」とCさんへ尋ねてしまいました。目が見えない方に何色が好きかを聞いてしまった私は、介護職失格で怒られても仕方の無いことでした。しかし、Cさんは怒ることなく、「白が好きなわけではないよ。ここのタンスを見てみなさい。」と、私にタンスの中を見せて下さいました。

 そこには、スーツが10着程並んでいました。Cさんは「どんな物が入ってますか?」と聞かれたので、私は「グレーや黒いスーツが10着と白いカッターシャツが10着入っています。青い系統のネクタイも5本あります。」と答えました。「では、ここには何が入ってますか?」そのタンスの隣のタンスを開けて聞かれました。「ここには、喪服でしょうか?黒のスーツと黒のネクタイと白のシャツが入ってます。」と答えました。

 Cさんは、私の答えにうなづきながら、「目が見えないと言う事は、色やデザインも分からないんです。私は決してスーツや白が好きなわけではありません。人前に出ても恥ずかしくないものをそろえているだけです。もし、左右で違う靴下を履いたら笑われるでしょう。間違って喪服でないものを着て行ったら、ダメでしょう?」と仰いました。私は、「そうですね。笑われるのは嫌ですね。」と返答すると、Cさんは「自分が笑われるのは慣れてます。街中でクスクス笑われる事を気にしていたら、外出できませんよ。私は、一緒に居る人に恥ずかしい思いをさせたくないのです。」と教えて下さいました。私は、何も言葉を返すことができず、「教えて頂いてありがとうございます。」とだけ返答しました。

 

 自分の無知を恥じると同時に、Cさんのような方を温かく受け入れる社会が無いことを残念に思いました。今もCさんは、あのタンスから洋服を出し、白い靴下を履いて外出しているのだと思います。Cさんが少しでも生きやすい社会になればと切に願います。

 

生活支援の意味
(「あなたのための介護技術」出版本より抜粋)

Dさんは、独身で50歳の頃に糖尿病を発症し、52歳で両目を失明してしまいました。Dさんは目は見えませんが、足は元気で自分で出かけることはできます。しかし、道に迷って帰れなくなったりすることが度々でした。

 そんなDさんの介護に、ベテランヘルパー3人で毎日Dさんの食事の準備に関わりました。糖尿病があるのでカロリーコントロールが重要です。ベテランヘルパーさん達が、カロリー制限に適した料理を見事に作ってくれていました。

 しかし、Dさんはヘルパーさんの作った料理には一切手をつけず、自分でコンビニで買ったお弁当を食べたり、居酒屋に行ってお酒を飲んできたりしました。何度Dさんと話をしても「明日からちゃんとする」の一言でした。

 そんな時、夜中に警察から「Dさんが救急車で運ばれた」と電話がありました。私は、大急ぎで病院まで行きました。そこで警察から事情を聞いた私は愕然としました。

実は、居酒屋で酔っ払って暴れて店のガラスを割って怪我をしたとの事でした。「なぜ…?」とDさんに聞きました。すると、Dさんは「生きててもしょうがない。何にも面白いこともない。死んだ方がマシ。」と答えました。

 この時、私は「何をわがまま言ってるんですか?生きたくても生きれない人が居るんですよ」と返しました。今から考えたらなんてことを言ったんだろうと思いますが、その時はこう返答するのが精一杯でした。

 その後、Dさんは在宅生活が難しいとの判断で、施設へ入所することになりました。

 当時の私は、Dさんのできない家事をお手伝いし、規則正しい生活ができるようにする事が必要なことだ考えていました。しかし、「生活支援」の本当の意味を考えると、私がしないといけなかったのは、「Dさんの好きなことが自宅でできるようにすること」「Dさんが食べたいと思うものをどうすれば食べてもらえるか」を考える事だったのです。自宅でお酒を飲むという選択肢も必要だったかも知れません。

 「生活支援」は、ご本人が望む生活をどうすれば継続できるかと考えることであり、それをどう支援していくかというものだとDさんから学びました。

 

命の意味
(「あなたのための介護技術」出版本 未収録)

 私が介護の仕事を初めて6カ月頃の事です。当時デイサービスで働いていました。Fさんは当時85歳の男性で、週に3日デイサービスを利用されていました。この日も、デイサービスに来られ、入浴と食事をして帰る予定でした。

 この日の入浴担当は私でした。Fさんはほとんど介助の必要の無い方で、この日も同じようにお風呂にご案内し、服を脱いで頂くようにしました。しかし、いつもは、すぐに服をご自分で脱いで浴室に入って下さるのに、この日はなかなか来て下さいません。

服を脱ごうとしないFさんに「体調が悪いんですか?」と尋ねたら、「いいや。」と返答されました。私は、Fさんの返事に納得できず、Fさんの今日の血圧はどうだったんだろうと思い看護師に聞きました。「少し血圧は高めだけれど、特に問題がある状態では無いので、大丈夫」との事。その返答に私は安心し、Fさんに頑張って服を脱いで頂いて、入浴を実施しました。

 いつもは長湯をするFさんでしたが、、この日はすぐに上がってこられ、上がってからも自分で服を着ることをされませんでした。

 少ししんどいのかと思った私は、Fさんに「昼食まで横になって休みますか?」と声をかけました。Fさんは「そうする」と仰ったので、そのまま休憩できるベッドへ案内しました。

 この時、私は他のスタッフに「Fさんがベッドで休んでます」と報告はしましたが、それ以上の報告はしませんでした。しかも、私は次の方の入浴介助に追われ、Fさんの様子を見に行く事もできませんでした。

 ようやく、入浴介助を終え、昼食準備に入る時に、Fさんがまだベッドに居る事を知って、ベッドまでFさんを呼びに行きました。

 Fさんはベッドで眠っていました。呼びかけても応答がなく、呼吸も無い状態でした。すぐに救急車を呼び、心肺蘇生を実施しました。

 その時の光景を今でも忘れる事はできません。

 結局、Fさんはそのまま目を覚ますことなく、亡くなられました。その前後の事を実はよく覚えていません。色々説明を求められ色んな方に話をした事は覚えていますが、Fさんの最後のお顔が脳裏に残っているだけでした。

 その後、何度か家族様に謝罪にお伺いしたいとの思いを伝えましたが、それに応じては頂けませんでした。

 それから半年が経とうとする頃、Fさんの奥様から会いたいと連絡を頂きました。

 どんなお叱りも受ける思いで、自宅を訪問しました。

 Fさんの奥様は、「あなたに辛い思いをさせてごめんなさい」と仰っいました。その言葉に「私の方こそ、大変申し訳ございませんでした。謝ってすむ問題では無い事は承知していますが、申し訳ございませんでした」と頭を下げました。奥様は「あの日、実は前の日から調子が悪かったの。朝もデイサービスを休みますか?と聞いたんだけど、行くと言ってきかなかったの。」「あの時、デイサービスの人にも体調が悪いことは伝えなかった。」と話されました。「あなたが最後に入浴をさせてくれたと聞いて、辛い目にあってるんじゃないか?と気になっていた。」と言って下さいました。

「私こそ、Fさんの体調不良に気付いていながら、ちゃんと対応ができなかったんです。」と謝罪しました。

そう言った私に、奥様は一つの箱を見せて下さいました。その中には、Fさんがデイサービスで作られた様々な作品が入っていました。折り紙や段ボールで作ったおもちゃみたいなものばかりでした。その中にはデイサービスのスタッフが作ったメダルや感謝状なども入っていました。

 それを見ながら、奥様は「いつも帰ってきたら、自慢げに見せてたの。今日は何をしたって話しながら、次は何を作るんだとか楽しそうにしていたの。だからあの日も絶対に行くってきかなかったのよ。」奥様の言葉に胸が潰れそうになりました。

 返す言葉が無い私に、「次からは、このようなことが無いようにして下さい。それがあの人が生きた意味になると思うから…。この経験を次に活かしてちょうだいね。あなたならそれができると思うから…。」と奥様は言って下さいました。

 その言葉に、私は「はい。必ず…。」としか返せませんでした。

 あれから、同じような事故を起こさないようにスタッフにも伝え続けています。

 伝え続けることが自分の命の意味でもあると信じています。

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